ルリビタキ/仲良しが得策

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青い鳥、やはりきれいですね。
撮る度、幸せ気分になります。
そしてこの日は、気にかかってた鳥友にもお会いできて・・・
元気な事が確認できて安堵しました。
いい気分で撮れたルリビタキさんでした。
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あと3回で終わる中学校の方のボランティア。
入試はバレンタインの日。
その前に私立の試験がある。
体調整えて頑張って欲しい。

用事で埼玉へ。
用事を済ませばあとは自由。
久し振りの鳥さん友達や旧友にと3箇所も。
夕食はお友達と外食予定にしていたけれど、ご主人も話の輪に入って楽しく思い出話し。
出かけるのがおっくうになり、主婦の鏡のような彼女、ささっと美味しいつまみを作ってくださった。
家飲み用のお酒も用意してくださって、旧宅でのんびり。
こんなのもありかな?

大坂選手は本当に強いし、かわいい!
素直な感じが伝わってきて、応援にも熱が入ります。
そういえば学生時代錦織(にしきおり)さんというお父様が出雲出身という方がいらしたけれど、
錦織選手は『にしこり』って読むんですね。
やはり、島根県松江の出身。
昨日の棄権は残念。前々日の疲れがたまっていたのでしょう。お疲れ様でした。




日韓双方とも自重を(1)

つい数ヶ月前まで日韓は話し合いも可能な友好国でした。
日本も韓国もお互いに人や物の交流が多く、インバウンド消費による益は
それぞれの国にとって今はなくてはならないものになっています

お互い仲良くすることが一番。

私は、『朝鮮部落』と呼ばれ、
朝鮮の人たちがまとまって暮らしている場所から数キロの場所に住んでいました。
小・中学校時、その部落から来ている友人もいました。
貧しく暮らしている人たちもいました。
子どもたちの中には、『朝鮮人とつきあったらいけないよ』とあからさまにいう人もいました。
しかし、それは親からの受け売りで・・・どうしてそう言われるのかなんて突き詰めて考えたわけでもないのです。
私のすぐ後ろにいたO君は、すごく算数が得意で、私はいつもお世話になっていました。
私は彼がなぜ、『朝鮮人』と差別されるのか分かりませんでしたが、中学校で歴史の学習をしてからは少しずつ分かってきました。

日本の長い歴史の中で過去数度大陸への進出を企てたことはありましたが、明治以降は、なりふりかまわず、進められました。
父は、ソ連軍の捕虜になる前、韓国釜山にいましたが、日本語を話せる人たちがたくさんいたそうです。
日本は、侵略したその地で日本語を教えました。
一つの民族の言語はその民族のアイデンティティでもあります。

最後の授業』の物語を思い出します。
プロイセンに負けたフランスは、ドイツ語で授業を行わなければならなくなります。
さぼってばかりのフランツ少年はその日も遅刻。
でもいつもお叱りになるアメル先生は静かに座るようにいうのでした。
村人もこぞって正装しアメル先生の最後のフランス語の授業に。
アメル先生は美しいフランス語を失わないように、奴隷となっても言葉を失わなければフランスが滅びることはないと。

私は歴史を勉強する中で、日本が中国や朝鮮を不当に侵略していた事実を知りました

日本が侵略した国に福音をもたらしたと主張する歴史修正主義の方々もいますけれど、
やはり侵略は、侵略された国の人たちから見れば、自分たちの国の利益が不当に侵されるということです。br>
現在に問題を残した徴用工問題も、この頃に起源があります。

『朝鮮部落』は、何らかの理由で本国から日本に来ていた人たちが助け合って生きる場でした

私達日本人の中に、かつて植民地であった国の人たちを差別する心があるのだと思っています。
江戸時代『士農工商』の下に『穢多・非人』をおいて、貧しい百姓にまだ下がある、自分たちはまだマシだと思わせる統治手段が用いられたように・・・。
『する側』と『される側』では大きな思いの違いがあるのでしょう。
加害者側である日本人には韓国や北朝鮮の方々の気持ちを推し量ることが出来ていないのではないかと思います。

小学生のころ、陸軍の基地を接収した米軍基地が数キロ先にありました。
そこの兵隊たちが、月に何度か演習のために行進してきて、私達子どもは、兵隊がくれるチョコやキャラメルに群がりました。
何しろ甘い物も少ない時代ですし、育ち盛りの男の子たちはお腹もすいていました。

朝鮮戦争は1953年に休戦協定が。
私が覚えている頃はおそらく朝鮮戦争は休戦協定(1953年)が結ばれた後。
だらだらと行進する兵隊に、日本人ならあんな行進はしないわと思ったり、
甘い物を手渡しではなく地面に投げる兵隊に、日本人なら人にものを上げるのにあんな風にはしないわと、日本人を大いに意識したりしました
負けたからこんなさげすみに耐えなければならないのかと思ったりしたものです。

長くなりました。明日に続けます。



by akaiga-bera | 2019-01-24 13:20 | Trackback
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