栃木県の鹿沼市に万にも及ぶおびただしい数のアトリさんが集まっているそうです。
皆様の画像を拝見すると、一斉に飛ぶと空も埋まりそうなほど。
私が遇ったのは別の場所ですが、ぽつぽつ降っていた雨がみぞれに変わる公園の芝生、近づくとザーと一斉に高い梢に。
その数数百羽、リーダーの指示に従っているのか、みな同調して行動します。
雨装備で、難儀しながら写しました。この群れももしかしたら、大群に合流するのかもしれませんね。
梢はアトリの花が咲いたよう・・・。
下には二度ほどしか降りませんでした。
用事があって横浜に。
ウオーターフロントは風があり寒かった。
帰って母の命日の墓参に田舎まで。
あわただしい2日間だった。
実家に立ち寄ると、しばらく旅に出なかった兄が、近くフィリピンのルソン島に行く予定と。
父は戦争末期、マニラにいた。
その後韓国釜山に転戦したものと思っていたけれど、実際には、マニラからルソン島の北部ラワーグへ移動し、そこの飛行場からだったのだという。
そのラワーグの飛行場を見てみたいと。
そのころ、マニラ奪還に全力を傾けていた米軍はマニラ南西の海域に終結していた。
どんな命令が出て移動したのかは不明だけれど、父たちの飛行機を最後に後続はなかったと聞いている。
ラワーグはスペイン統治時代の古都、街並みもスペインを彷彿させるという。
また、義姉のお父上がラワーグから見える台湾との間に広がるバシー海峡で戦死されたそうだ。
それゆえ義姉は父親の顔を知らずに成長された。
お母さんは二人の子たちを女手一つで育てた。どんなに大変だったことだろうか。
慰霊の旅になるのだろう。
それにしても比国・・・スペインの植民地となり、アメリカ、日本、またアメリカとそして戦後は独立したけれど・・・受難の国だ。
マニラの果物のおいしさを話す時だけ、父の顔はほころんでいたなあ。