受粉した桜は中心が赤くなると、つい先ごろ教えていただきました。とてもきれい。
数日前の朝日新聞関西版に下記の投稿が掲載されていたそうです。
村上敏明さん、京都府82歳。
「妹に薬飲ませ・・・失った記憶」 46年春、旧満州(中国北東部)四平で、中国共産党軍と国民党軍は内戦中だった。
父は徴兵されて音信不通。
砲火の中、母子5人で暮らした。
7月、日本引き上げが決まり、家に日本人会の男性数人が来た。
1歳の妹について「長い旅に耐えられないから殺しなさい」と毒薬を渡された。
母が抱き、小学6年の僕がスプーンで飲ませると死んだ。
その後の幾つも記憶を僕は失った。
後年再会した同窓生によると、その日僕は泣きながら毒を飲ませた様子を話したらしい。
心身共に不調だった母が荷車に横たわっていたのは覚えている。
弟2人と共に貨物列車に乗せた。
引き揚げ船出発地の葫蘆島に到着。
処方された薬を母は飲んでいたがある日、僕は別の粉薬を医師から渡された。
僕が飲ませると、母は泡を吹いて死んでしまった。
ぼうぜんとした僕。
通夜で弟2人と僕は黙り込んだ。
8月3人で父母のふる里、京都へ。
祖母の懐に飛び込んだが、上の弟はすぐに病死した。
今75歳の弟と私。
安保法制や、昔の治安維持法を想起させる「共謀罪」法案に反対だ。
「誰の子どもも殺させない。いつまでも平和を」と声を上げ続けている。末尾の赤の部分は、関東版に載せられるとき削除されていた。
何故この部分は削除されたのか、聞いてみたい。
ツイッターで取り上げていらした方も、村上さんは単に思い出話を書いたわけではないと。
前段の悲しいつらい悲惨な過去があるからこそ、2度と繰り返してはならないと強く心に誓って行動されているのだ。
新聞社がこうして自己規制していくことこそ、真実が伝わらない原因だ。
太平洋戦争に至る過程、戦時下、ずっと報道機関はご用新聞となって、マスコミ本来の任務を忘れた。
結果、国民は判断の材料を与えられず戦争を続けることになったのだ。
「知る」権利が重要なのはそこにある。